杉山神社考

保土ヶ谷郷土史(神明社ホームページより抜粋)

杉山神社(すぎやまじんじゃ)は、主に五十猛命(スサノオの子)や日本武尊を主祭神とする神社である。横浜市内でも旧武蔵の国に属する地域、及び川崎市、東京都町田市、稲城市などに数十社存在する。1800年代の始めに書かれた「新編武蔵風土記稿」によりますと、当時、杉山神社は70数社ありました。現在「杉山**」として宗教法人登録されている神社は44社、その内横浜市内には35社あります。その差分約30社は明治以降に他の神社と合併したか、或いは社名を変更したものと考えられます。

さて、杉山神社の名前が始めて歴史上にあらわれるのは平安時代です。「続日本後記」承和5年(838)2月の条に 「武蔵国都筑郡の枌(杉)山神社が霊験あるをもって官弊に預かった」、同書・承和15年(848)5月の条に「これまで位の無かった武蔵国の枌(杉)山神社が従五位下を授かった」とあります。また、900年代の始めに成立した「延喜式」神名帳に、武蔵国四十四座「都筑郡一座小 杉山神社」と記載されています。つきり、現在の横浜市内で唯一の式内社とされ、当時最も有力な神社であったことがわかります。

では、「杉山神社の本社はどこか、御祭神はだれか」昔から盛んに論議されてきましたが、未だに定説はありません。明らかなことは次のとおりであり、分布はごく一部にかぎられています。

  • 杉山神社の分布が鶴見川、帷子川、大岡川の三水系、及び多摩川の右岸(川崎寄り)に限られていること。
  • 多摩川の左岸(東京寄り)地域は氷川神社が多いこと。
  • 杉山神社が数多く分布する旧都筑郡でありながら現在の旭区内には一社もなく、他の神社の勢力が優勢であること。

このような杉山神社の分布状況から「杉山の神」を奉斎する集団が、海を渡って江戸湾に入り、各河川を遡りながら開発を進めたのではないか、と考えたくなります。それも推論の域を出ません。一般に古い歴史を持つ神社ほど由緒や御祭神がよく分からないと言われます。つまり、「杉山神社考」とは、杉山神社が古社であることの証明にほかなりません。

杉山神社についての研究は、まだこれからと思われます。

関東地方に所在する主な杉山神社 (40社)

神奈川県横浜市 (29社)

区名町名
西区中央
保土ヶ谷区川島町、星川、和田、仏向町、上星川、西久保町、坂本町、
緑区西八朔町、中山町
青葉区千草台、市ヶ尾、みたけ台、あかね台、
南区南太田、宮元町
神奈川区六角橋、片倉
港北区新吉田町、岸根町、新羽町、樽町
都筑区茅ケ崎中央、中川、勝田町、大熊町、佐江戸町
鶴見区岸谷、鶴見中央

その他の市区町村 神奈川県:横浜市以外 (4社)

市・郡名町名
川崎市幸区小倉
川崎市高津区末長(社殿が1964年(昭和39年)に火災で焼失し、1972年(昭和47年)に再建された。)
川崎市多摩区西生田
三浦郡葉山町上山口

東京都(7社)

市・区名町名
墨田区千歳
稲城市平尾
町田市三輪町、成瀬、金森、つくし野、能ケ谷(つくし野出張社務所)

旧山王宮跡・地神塔

(昭和45年発行 「港北の遺跡をたずねて」[抜粋])

山王宮は、岸根町409番地に位置し、当時岸根町が所管していた。しかし、御祭神等は、行われていなかったため、昭和35年5月31日に大蔵省普通財産仮登記され、昭和63年法務省令第37号附則第2条第2項の規定により「大蔵省」に所有権が移転、登記された。

山王宮跡には、「山王宮蹟碑」が自然石(粘板岩)、碑高1m32cm、台石が自然石(閃緑岩)で大正13年10月に建立されている。碑の5mほど前面には、「狛犬」左右に鎮座する。また、正面の参道・階段を登り切った左側には、「堅牢地神塔(総高70cm、文化八亥己)」が往時を偲ばせるように存在する。

山王宮蹟碑

山王宮蹟碑

堅牢地神塔

堅牢地神塔

山王宮の狛犬

山王宮の狛犬

氏神とは

ウィキペディア フリー百科辞典(抜粋)

氏神(うじがみ)は、日本において、同じ地域(集落)に住む人々が共同で祀る神道の神のこと。同じ氏神の周辺に住み、その神を信仰する者同士を氏子(うじこ)という。現在では、鎮守(ちんじゅ)ともほぼ同じ意味で扱われることが多い。氏神を祀る神社のことを氏社という。

神道とは

ウィキペディア フリー百科辞典(抜粋)

神道は古代日本に起源を辿ることができるとされる宗教であり、宗教名の多くは日本語では何教と呼称するが、宗教名は神教ではなく「神道」である。

伝統的な民俗信仰・自然信仰を基盤に、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した。また、日本国家の形成に影響を与えたとされている宗教である。

神道には確定した教祖、創始者がおらず、キリスト教の聖書、イスラム教のコーランにあたるような公式に定められた「正典」も存在しないとされるが、『古事記』、『日本書紀』、『古語拾遺』、『宣命』といった「神典」と称される古典群が神道の聖典とされている。

森羅万象に神が宿ると考え、天津神・国津神や祖霊をまつり、祭祀を重視する。浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目とする。他宗教と比べて現世主義的といった特徴がみられる。神道とは森羅万象を神々の体現として享受する「惟神の道(かんながらのみち、神と共にあるの意)」であるといわれる。教えや内実は神社と祭りに中に伝えられている。『五箇条の御誓文』や、よく知られている童歌〔わらべうた〕『通りゃんせ』など、日本社会の広範囲に渡って神道の影響が見受けられる。

神道は奈良時代以降の長い間、仏教信仰と混淆し一つの宗教体系として再構成されてきた(神仏習合)。一方で伊勢神宮のように早くから神仏分離 して神事のみを行ってきた神社もある。明治時代には天皇を中心とした国民統合をはかるため、全ての神社で神仏分離が行われた。

神道と仏教の違いについては、神道は地縁・血縁などで結ばれた共同体(部族や村など)を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、仏教はおもに個人の安心立命や魂の救済、国家鎮護を求める目的で信仰されてきたという点で大きく相違する。