合祀100年記念事業とは?

1.山王宮(旧・日枝神社)合祀の経緯について

合祀100年記念事業は、山王宮(旧・日枝神社)が国の施策「一村一氏神の考え方」に基づき大正13(1924))年10月に杉山神社に合した事実を地域町民が記憶するために建立した「蹟碑」であり、この蹟碑建立から令和6(2024)年10月に「合祀100年」の記念日を迎えることを記念する事業である。

当時の山王宮は、岸根町409番地に位置し、岸根町が所管していた。しかし、御祭神等の活用や管理は、行っていなかったためか? 昭和35年5月31日に大蔵省が普通財産仮登記し、昭和63年法務省令第37号附則第2条第2項の規定により「大蔵省」に所有権が移転し、登記した。

結果、山王宮合祀の蹟碑は、現在・国(関東財務局)が所有する土地に建立している。しかし、国は、この土地の維持、管理等の問題から一般競争入札で公売処分する方針になったため、奉賛会に対して蹟碑移転等の対応を行うよう令和4年6月13日付で打診した。これに対し奉賛会は、令和4年11月29日付で、敷地内の一角に永久存続できるよう「土地の無償提供」を内容とする請願書を提出した。

公売処分する方針は、令和5年度に対象物件として正式に公示されて以来、変更する事なく現在(最終更新日令和6年3月19日)に至っている。

2.記念事業の実施計画について

記念事業は、令和5年度の総会で特別委員会の創設を承認し、令和5年5月21日(日)大規模掃除日に臨時の合同役員会を開催して委員長以下7名、相談役4名を決定した。

その後、特別委員会は、数回の会合を開催して事業の計画を決定した。その内容、経過、実施は、実行委員長の岩田副会長から「実行委員会経過報告書」に基づき報告があり、計画する「①~⑧事業(下記項目)」に、予算金額125万円を承認した。

<計画する⑧項目>
①しめ縄の新調、②鈴紐の新調、③神前幕の新調 ④記念法被の制作、⑤掲示板設置、⑥参道石段の整備、⑦参道入り口の灯籠修復(対象除外)、⑧拝殿の雨漏り対策(令和6年度特別会計予算で対応するため除外)。

ただし、「⑥参道石段の整備」は、事前に市港北土木事務所に相談を行い、市の考え方を打診し、町内会と連名で整備要望書を令和5年10月30日に提出した。

3.旧山王宮跡・堅牢地神塔について

山王宮跡には、「山王宮蹟碑」が自然石(粘板岩)、碑高1m32cm、台石が自然石(閃緑岩)で大正13年10月に建立しおり、碑の5mほど前面には、「狛犬」が左右に鎮座する。また、正面の参道・階段を登り切った左側には、「堅牢地神塔(総高70cm、文化八亥己)」が往時を偲ばせるように存在する。(昭和45年発行 「港北の遺跡をたずねて」[抜粋])

山王宮跡の現状(平成26年4月6日撮影)

狛犬は、口を閉じた「吽(うん)形」をしているのが狛犬(中央)、口を開けた「阿(あ)」をしているのが獅子(右)。

この狛犬は、日本参道狛犬研究会の阿部由葉氏の考えによると、台座に刻まれていた「氏子中」「嘉永七年寅亥年八月建立」「明治廿年九月再建」を確認。但し、石工名の刻印はない。しかし、推測として伊豆の「安良里邨石工・徳三郎/長吉」の作と言われ、奇しくも神社を創建した岩田五郎右衛門貞列と伊豆の国の住人で繋がる等歴史的に貴重なものと判明した(現地調査は、本人他数名が奉賛会の役員立会いで令和2年11月2日実施した)。

堅牢地神(けんろうじしん)の現状

地神講は、床の間に堅牢地神(けんろうじしん)(地天)と弁財天(べんざいてん)(弁天) の掛け軸をかけ、煮しめと白飯を供えてお祭りをしました。 この日は、土地を掘り起こしてはいけないとされているため、農家にとっては休日となると言われています。

この堅牢地神は、古老から話を聞いており、この神の前に町内の人々が集まり、甘酒を飲む等呼称「甘酒祭り」での交流会を行っておりましたとか?

この流れか、岸根町には、現在も地神講があり、年に1回程度持ち回りで開催していると聞いています。

なお、碑は、階段を登った正面入り口の左側約3m、金網奥約1m、篠竹の藪の中にある。