岸根の歴史

 今日は、久しぶりに何もない日なので「岸根の歴史」の続きを調べようと思うが、懸案事項を一つご紹介し、何方か解っている人が居ればご教示願いたいと思う。

 それは、現在の県道12号線通称「横浜上麻生道路」がいつ頃開通したのか?。ということです。江戸時代以前は、鎌倉道の一部として使用されていたと思うが、時代が進み明治の時代にJR横浜線が開通した頃に、近郊で産出した農産物を横浜市内へ輸送するために、鎌倉道が拡幅され「横浜上麻生道路」として成立たのではないかと推測している。何時の時代にそうなったのかを知りたいと考えている。現在の県道12号線になったのは昭和30年代の中ごろと記憶している。

 小生が子供のころ(昭和20年代)には、砂利道ではありましたが、川和町と長者町5丁目を結ぶバスが走っていた。終戦直後には、木炭バスが走っていたと先輩から聞いているし、小机には「バスの車庫」があったと聞いている。(浜田記 2)

この投稿へのコメント

  1. norishige goto said on 2018年7月20日 at 4:57 AM

    岸根の歴史とは、浜田会長が調査、取りまとめ、公表する。私は、ここに住み約52年になります。
    岸根の昔はどうであったか、50年前なら何となく理解、今回公表された県道12号線通称「横浜上麻生道路」のお話に興味があります。この道路に岸根では唯一の橋「岸根橋」があり、狭い道路端ですが岸根の丘か、山の上に通じる大切な生活道路、交通量も多く危ない道路、拡張は困難。
    今後とも詳しく調査され、ご教示くださいますようよろしくお願いいたします。
    楽しみにしております。(投稿;後藤)

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