まえがき
この「岸根の歴史」は、昭和61年に発行された「港北区史」や、昭和60年に発行された「山王山遺跡発掘調査報告書」及び郷土史を研究されている方々の資料等に基づき、作成者の推察及び岸根に住む方々の昔話等を参考にしながら作成したものです。
岸根町に住む人達が、岸根町を理解し少しでも愛着を持っていただけると有り難く思います。
2020年1月 作成者;浜田正二
縄文時代から住民がいた!?
県立岸根高等学校建設に伴う「山王山遺跡」調査(神奈川県立埋蔵文化財センター調査報告8 1985年7月)によれば、岸根町の丘陵地(岸根町字山王山369番地他)からは、縄文時代からこの地に人が住んだという遺跡や出土品が発掘されています。
鎌倉時代には、鎌倉と東国を結ぶ鎌倉街道の一部が町内を通っていたこともあり、琵琶橋伝説なども残されています。また、町内には、岸雲山貴雲寺(1598年建立)という曹洞宗の名刹があり、戦国時代の末期(関が原の戦い)には村としての体裁が整っていたものと思われます。天保9年(1838年)3月に描かれた村の古地図(市川家所蔵)には、27軒が存在していたことが記されており、田んぼや畑が表されていることから、農業が行われていたことを窺い知ることができます。
昭和の半ばまでは主として農業を中心とした人々の営みが続けられたと考えられますが、昭和39年(1964年)東海道新幹線の開通に伴い様相が大きく変化することになりました。かっての畑には戸建ての住宅が建設され、また、田んぼ(現在の新横浜一丁目)にはビルが建ち並び、現在では約2000世帯、4000人余りが住む住宅地中心の町へと変貌をとげました。
町名の由来と変遷
『新編武藏風土記稿』の「岸根村」の項に“古は、此邉(このへん)すべて沼なるによってしかりと云(いふ)。當(とう)所は、其沼の岸にそひたる根なりしゆへ、この名を得たる”の記録があります。
古くは,武蔵国橘樹(たちばな)郡岸之根村と呼ばれていました。明治22年の市町村制施行で城郷村大字岸之根となり、 昭和2年に横浜市へ編入され、橘樹(たちばな)郡城郷(しろさと)村大字岸之根から、新設町名は岸根町となりました。
岸根町名の変遷(区市町村変遷総覧神奈川新聞社編)
元号 | 西暦 | 理由 | 町名(村名) |
---|---|---|---|
江戸期又は江戸期以前 | 武蔵国 橘樹郡 岸根村(きしのねむら 岸野根・岸之根) | ||
明治元年9月 | 1868年 | 県設置 | 神奈川県 橘樹郡 岸根村(きしのねむら 岸野根・岸之根) |
明治22年3月 | 1889年 | 合併(9ヶ村) | 神奈川県 橘樹郡 小机村 大字 岸根(きしのね) |
小机村、岸根村、鳥山村 | |||
六角橋村、神大寺村、下菅田村、羽沢村、三枚橋村、片倉村 | |||
明治22年4月 | 市町村制 | 横浜市が成立。 | |
明治25年2月 | 1892年 | 改称 | 神奈川県 橘樹郡 城郷村 大字 岸根(きしのね) |
昭和2年4月 | 1927年 | 横浜市合併 | 神奈川県 横浜市 岸根村 |
昭和2年10月 | 区制導入 | 神奈川県 横浜市 神奈川区 岸根町 | |
昭和14年4月 | 1939年 | 分区 | 神奈川県 横浜市 港北区 岸根町 |
岸根町の旧地名
旧地名 | 現住所エリア(概ね) |
---|---|
岸の根村字向判下(むこうばんした) | 新横浜1丁目の環状2号線北側一帯 |
岸の根村字砂田(すなだ) | 岸根町1~6番地と環状2号線南側で新横浜1丁目1・2・14番地一帯 |
岸の根村字榎戸(えのきど) | 環状2号線南側で新横浜1丁目4・12・13番地付近と環状2号線北側 の一部 |
岸の根村字山王山(さんのうやま) | 岸根町300番地~599番地の地域 |
岸の根村字谷上(たにうえ) | 岸根町600~669番地の地域 |
岸の根村字大堀(おおほり) | 670番地~705番地の地域 |
岸の根村字清田塚(せいたづか) | 岸根町710~731番地の地域と岸根公園の一部(ひょうたん広場等) |
岸の根村字釜谷(かまのやと) | 岸根公園の一部 篠原池の付近 |
年 表
岸根の歴史およびその他の出来事
元号 | 西暦 | 出来事 |
---|---|---|
縄文時代 | 15,000年前〜3,000年前 | ●縄文海進(温暖化)により、海面は5m(2~3mとの説あり)ほど高かったとされており、これにより、新横浜一帯は海(小机湾)となっていた。と想像されている。 ●岸根の丘は末吉半島(台地)の一部、小机湾の対岸の日吉半島(台地)や都筑半島(台地)には、多くの遺跡が残されている。 ●山王山遺跡をはじめ岸根町の台地には人が住んでいた。(山王山遺跡発掘調査報告書による1985-7発行) ●発掘調査によると、7,000年前~5,500年前頃が生活の場所として利用されており、多くの人達(少なくとも数十人程度か)が住んでいたと思われる。(推察) |
弥生時代 | 3,000年前〜1,700年前 | ●海が後退した後は、湿地⇒耕作地(田んぼ)となる。 ●稲作が始まる。(弥生時代西暦100年頃) |
古墳時代 飛鳥・奈良時代 | 300年頃~800年頃 | ●発掘調査によると、西暦200年頃から400年頃までにも多くの人が住んでいたと思われる。 (◇古墳時代仏教伝来◇西暦593年聖徳太子が摂政) (◇飛鳥時代西暦646年大化の改新) (◇奈良時代鑑真が律宗、審祥が華厳宗、道昭が法相宗を伝える) (◇奈良時代(西暦712年「古事記」が編纂される。西暦720年「日本書紀」が編纂される) ●山王山遺跡から見つかった遺構・遺物は、縄文・弥生・古墳・平安時代・中世(鎌倉・室町時代)など、各時代のものが発見されている。ただし、平安時代・中世(鎌倉・室町時代)のものは。相対的に少ない。 |
平安時代 | 800年頃~1,200年頃まで | ●西暦724年師岡町熊野神社創建(社伝) (◇西暦800年代初めに、最澄(伝教大師)が天台宗空海(弘法大師)が真言宗を起こす) ●山王山遺跡における平安時代の遺構は、火葬墓1基が発見されている。(住む人が少なくなっていることか。) また、鎌倉時代や室町時代の遺構や遺物は、土塁や溝、陶磁器などが出土している。出土遺物としては、中国製の青磁椀や国産では渥美窯や常滑窯・瀬戸窯などの、椀や壺・甕・こね鉢等が出土している。(この頃にも人が住んでいた。) ●西暦853年高田町興禅寺(天台宗)建立(寺伝) ●西暦1171年頃源頼朝の命により、佐々木高綱が鳥山に三会寺を創建。(寺伝) (◇西暦1100年代に、法然が浄土宗、栄西が臨済宗を起こす。) ●西暦1192年頃鳥山八幡宮を創建?(佐々木高綱が勧請?) この頃に、鈴木村(後の篠原村)会下谷(えげやと)に鎮 守として、鶴崎八幡を創建。その後若宮八幡となり、場所 も移して、現在の篠原八幡大神となっている。 (◇この頃鎌倉道が成立か。岸根琵琶橋伝説として、頼朝と琵琶法 師との係りがあったことが伝えられている。) |
鎌倉時代・南北朝時代 | 1,200年頃~1,400年頃まで | (◇西暦1180年~1192年鎌倉幕府が成立する。成立年には諸説あり、学問的には確定されていないようである。) (◇西暦1200年代に、親鸞が浄土真宗、道元が曹洞宗、日蓮が日蓮宗、一遍が時宗、を起こす。) ●篠原城(金子城)が鎌倉時代初期(西暦1200年代)に築城されたともいわれている。 ●西暦1239年頃から北条泰時の命により、佐々木泰綱による、小机郷鳥山等の荒地の農地開発が行われる。 ●西暦1275年東林寺(曹洞宗)(当時は会下寺と呼ばれる真言宗のお寺)創建される。現在の東林寺の中興開山は、1496年とされている。 |
室町時代 | 1,400年頃~1,500年頃まで | (◇室町時代は、足利尊氏が西暦1338年に開いた、室町幕府の時代で、戦国時代を含めると230年余り続いた。) ●西暦1430年頃小机城が、関東管領上杉氏の出城として築城されたとされている。(「横浜歴史年表」による) (1200年代に築城されたとの説あり) ●西暦1477年山内上杉氏の「長尾景春」が家督争いから反乱を起こし、小机合戦が始まる。当時の小机城には、長尾景春に組する「矢野兵庫助」等が立て籠もる。これを鎮圧すべく、扇谷上杉氏の太田道灌が、1478年に小机城攻めを行い攻め落とし、一時期廃城となる。 (◇西暦1467年京都では、家督争いに端を発し「応仁の乱」が始まる。・・・戦国時代へ移行する原因ともいわれている。) |
戦国時代・安土桃山時代 | 1,500年頃~1,700年頃まで | ●西暦1500年頃北条氏2代目の「北条氏綱」が武蔵国に勢力を拡大する。 ●北条氏綱の勢力拡大に伴い、北条早雲の重臣にして伊豆国の住人の、岩田五郎左衛門貞列(岩田家の先祖)と他10騎が岸根に入り農業を始める。(神社史と口伝) ●西暦1525年岩田五郎左衛門貞列によって、現在の地に岸根杉山神社が勧請される。 ●この杉山神社は、山王山遺跡発掘調査報告書の「まとめ」によると、西暦1641年頃には、篠原町の「観音寺(真言宗)」の所有であったとされている。 ●「観音寺」は、篠原八幡大神の創建と同時期に建立されている。 ●西暦1524年北条氏綱が笠原越前守信為を小机城代とし、小机城を修復。 ●西暦1525年笠原信為が雲松院を開基。 ●西暦1539年綱島太郎が、綱島に本法寺を開基。後に、小机城家老鈴木氏の勧めで、1575年に小机に移転。1819年に現在地へ。 ●西暦1590年豊臣秀吉の城攻めにより小田原城落城。小机城も無血開城し廃城となる。 ●西暦1598年雲松院の玄室宗頓大和尚により「貴雲寺」開山。 (◇西暦1600年関ヶ原の戦いで東軍(徳川家康)が勝利。) |
江戸時代 | 1,603年~1,868年まで | (◇西暦1603年徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府が成立する。以降第15代征夷大将軍徳川慶喜まで、265年間の江戸時代が始まる。) (◇徳川家康は、政治的支配力を強めるための施策として、5街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)の整備に着手したが、駿府に帰省する時は中原街道を利用したといわれている。中原街道は、佐江戸を通っている。) (◇西暦1616年徳川家康、駿府城にて逝去75歳(満73歳)死因は、鯛のてんぷら説もあるが、胃がん説が有力。) (◇西暦1685年徳川綱吉(第5代将軍)生類憐みの令発布) (◇西暦1702年(元禄15年)赤穂浪士の討ち入り) (西暦1688年~1703年の15年間は、元禄時代で江戸文化が花開いた時代。近松門左衛門、井原西鶴、松尾芭蕉等が輩出した。) (◇西暦1707年(宝永4年)富士山大噴火。噴火時の火山灰は江戸にも降り注いだ。篠原城の発掘調査でも火山灰が見つかっている。以降噴火の記録はなし。噴火の49日前に「宝永の大地震」が発生している。) (◇西暦1718年第8代将軍徳川吉宗の命を受け、大岡越前守忠相が江戸町火消し組を組織した。当時、江戸は火災が頻発していた。) (◇西暦1748年「仮名手本忠臣蔵」が初演される。) (◇西暦1830年「新編武蔵風土記稿」が完成する。) ●雲松院の山門「臥龍山」の額 ◆江戸時代初期の曹洞宗の禅僧月舟宗胡の筆による。 ●雲松院の本堂「雲松院」の額 ◆江戸時代初期中国からの禅僧東皐心越の筆による。心越は時の副将軍の徳川光圀公に支援を受けた。 ●泉谷寺の杉戸絵「山桜図」 ◆初代安藤広重の作。1835年頃に描かれた。神奈川県の重要文化財に指定されている。 ●この頃のお寺の役割 ◆村民の寄り合い場所などに利用されており、地域政治の中心的な役割を担っていた。 ●西暦1859年(安政6年)武蔵国久良岐郡横浜村に、横浜港が開港する。 |
明治時代 | 1,868年~1,912年まで | (◇西暦1872年(明治5年)新橋・横浜間に鉄道が開通する。) (◇西暦1894年(明治27年)日清戦争) (◇西暦1904年(明治37年)日露戦争) |
明治7年 | 1874年 | 岸根学舎・小机学舎・篠原学舎等、当時の寺子屋(民家や寺院を借用)を基盤にし、11校の学舎が誕生した。(岸根学舎は民家を借用した。)以降、岸根小学校と改称し、西暦1920年(大正9年)橘樹郡城郷村村立城郷尋常高等小学校に合併するまで存在した。 |
明治22年 | 1889年 | 当時の小机村の役場が岸根(岸根村1番地)に設置された。 (小机村は、明治25年に、城郷村に改称する。) ◆この役場に「関の店」が開店したのもこの頃。 |
明治25年 | 1892年 | 城郷村制定 |
明治33年 | 1900年 | 鳥山村に、橘樹郡村立高等城郷小学校が誕生する。 |
明治41年 | 1908年 | 横浜鉄道(JR横浜線の前身)が開通する。 (西暦1917年(大正6年)に国が買収) ●この頃、横浜上麻生道路(神奈川往来=飯田道)が拡幅され自動車が通れる道路となったものと思われる。(推察) (明治14年に、陸軍参謀本部が測量した地図には、拡幅された飯田道は標記されていない。) |
大正時代 | 1,912年~1,926年まで | (◇西暦1914年(大正3年)第1次世界大戦に参戦) ●西暦1915年頃小机・二ッ谷間に、乗合馬車が走る。 |
大正12年 | 1923年9月 | 関東大震災 |
大正13年 | 1924年 | 山王宮を岸根杉山神社に合祀。 |
大正15年 | 1926年 | 丸子多摩川・神奈川間で、東横線が開通する。 |
昭和元年 | 1926年 | 昭和天皇即位の御大礼 |
昭和2年 | 1927年 | 東京横浜鉄道(東横線)開通 城郷村が横浜市に併合され、神奈川区に編入される。 |
昭和4年 | 1929年 | 世界恐慌 |
昭和6年 | 1931年 | 満州事変勃発 |
昭和12年 | 1937年 | 日中戦争始まる。 |
昭和14年 | 1939年 | 港北区が制定され岸根、鳥山、 小机は港北区に編入される。 |
昭和16年 | 1941年 | 太平洋戦争始まる。 ●太平洋戦争の勃発に伴い、岸根町字大堀(現在の岸根保育園一帯)に、陸軍高射砲陣地が置かれる。 |
昭和20年 | 1945年 | 大東亜戦争 終結。 終戦。無条件降伏。 ●終戦後、町の有志(渡辺越雲、中村金作、白井淳雄の各氏)により「岸根音頭」「岸根情緒」が作詞・作曲され、歌い継がれる。 昭和61年に、岸根囃子連が「岸根音頭」「岸根情緒」を復活させる。 ●終戦後の一時期、高射砲陣地の兵舎を利用し、農業指導所のような施設が置かれる。 |
昭和25年 | 1950年 | 旧陸軍高射砲陣地は米軍基地として接収される。 ●同時期から、現在の岸根公園の場所(横浜市都市計画公園用地)に、「米軍キャンプ」を設置するための造成が開始される。 |
昭和27年 | 1952年 | 岸根杉山神社の山車2基完成 |
昭和30年 | 1955年 | 岸根基地米軍兵舎開設 米軍の高射砲基地は、陸上自衛隊高射砲基地となる。 (自衛隊員は農繁期になると、農家に出向き農業支援を行う。) ●昭和30年頃に、六角橋北町の青果市場が岸根に移転する。 |
昭和32年 | 1957年 | 米軍キャンプ「KISHINEBARRACKS」が完成。 |
昭和34年 | 1959年 | 東海道新幹線工事が着工される。 |
昭和39年 | 1964年 | 東京オリンピック開催 東海道新幹線開通(10月) |
昭和40年 | 1965年12月 | 米軍キャンプは、ベトナム戦争の拡大に伴い、米軍の総合病院となる。 |
昭和43年 | 1968年 | 篠原町に横浜市立篠原西小学校が開校する。 |
昭和45年 | 1970年6月 | 米軍総合病院は閉鎖され、昭和47年8月に返還される。 |
昭和47年 | 1972年 | 岸根米軍キャンプ返還される。 |
昭和49年 | 1974年 | 米軍キャンプ跡地利用の総合計画が決定し、平成元年岸根公園が完成し開園する。 |
昭和50年 | 1975年11月 | 行政地区として「新横浜」が誕生し、岸根町の一部が編入される。 |
昭和51年 | 1976年 | 岸根 会館新築(岸根倶楽部) |
昭和53年 | 1978年 | 岸根根杉山神社奉賛会発足 |
昭和55年 | 1980年 | 岸根杉山神社社殿落慶遷宮 |
昭和57年 | 1982年 | 神奈川県立武道館が岸根公園内に完成する。 |
昭和58年 | 1983年 | 神奈川県立岸根高校が開校する。 |
昭和60年 | 1985年 | 地下鉄3号線開通舞岡~新横浜 横浜市営地下鉄「岸根公園駅」が開業する。 |
昭和61年 | 1986年 | 岸根音頭を復活させる |
昭和63年 | 1988年 | 横浜線全線複線化 |
平成元年 | 1989年 | 横浜アリーナ開館 |
平成5年 | 1993年 | 皇太子様・雅子様ご成婚 地下鉄3号線横浜~あざみ野開通 |
平成6年 | 1994年 | 地下鉄サリン事件 関西国際空港開港 |
平成7年 | 1995年 | 阪神淡路大震災 |
平成9年 | 1997年 | 長野新幹線 開業 |
平成10年 | 1998年 | 横浜国際競技場(現日産スタジアム)オープン |
平成12年 | 2000年 | シドニー5輪 高橋尚子選手女子マラソンで金 城郷小学校100周年 |
平成13年 | 2001年9月 | 9.11 米同時多発テロ |
平成14年 | 2002年 | FIFA ワールドカップ2002 日韓共同開催 |
平成15年 | 2003年 | 岸根:消防器具置き場を新設 地上デジタル放送開始 |
平成16年 | 2004年 | 城郷小机地区センター開館 |
平成17年 | 2005年 | 愛知万国博覧会 |
平成18年 | 2006年 | 第1回WBC 日本代表が優勝 |
平成19年 | 2007年 | 郵政民営化スタート |
平成20年 | 2008年 | リーマンショック 世界経済危機 新横浜駅ビル キュービックプラザ 開業 |
平成21年 | 2009年 | 横浜開港150周年 港北区制70周年 |
平成22年 | 2010年 | 港北警察署新庁舎に移転 岸根町納涼盆踊 貴雲寺駐車場にて開催 |
平成23年 | 2011年3月 | 3.11 東日本大震災 |
平成24年 | 2012年 | 岸根消防団 ポンプ操法で初優勝! 東京スカイツリー開業 |
平成25年 | 2013年 | 富士山が世界遺産に登録される |
平成26年 | 2014年 | 岸根高校出身の白井健三選手が体操世界選手権で金メダル獲得 新横浜駅50周年 |
平成27年 | 2015年 | 岸根町町内会法人化 岸根囃子連が横浜文化賞を受賞! |
平成28年 | 2016年 | 岸根高校出身の白井健三選手が、リオデジャネイロ・オリンピック2016にて団体で金メダル獲得! 岸根消防団 ポンプ操法で優勝!V2達成! |
岸根杉山神社の歴史
元号 | 西暦 | 内容 |
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大永5年 | 1525年 | 岩田五郎左衛門貞列(岩田家の先祖)により、現在地に創建される。 |
この杉山神社は、山王山遺跡発掘調査報告書の「まとめ」によると、西暦1641年頃には、篠原町の「観音寺(真言宗)」の所有であったとされている。 | ||
寛政8年 | 1797年 | 村の有志により改築される。 参道の石段、鳥居、石灯籠、狛犬等を整備する。 |
大正13年 | 1924年 | 山王宮を岸根杉山神社に合祀。 |
昭和53年 | 1978年 | 岸根杉山神社奉賛会が発足。 |
昭和55年 | 1980年 | 拝殿を新築し今日に至る。 |
岸根杉山神社の祭礼の変遷
昔から、10月1日を祭礼日と定め「神事」を執り行っていた。
元号 | 西暦 | 内容 |
---|---|---|
昭和25年 | 1950年 | 昭和25年(西暦1950年)頃から、3年間ほど、山車(2基)の巡行が行われたが中断。 |
昭和53年 | 1978年 | 岸根子ども会(会長;伊藤武夫氏)が主催し、山車と神輿の巡行が開始される。この頃から祭礼日を10月の第1日曜日とする。(以降、第1土曜日に変更する。) |
昭和55年 | 1980年 | 拝殿新築を機に町内会が「岸根まつり」として「祭事(演芸大会と山車の巡行及び模擬店等)」を引き継ぐ。 |
平成27年3月 | 2015年 | 祭礼の名称を「岸根杉山神社御祭礼」とし、町内の各団体による「実行委員会」を設置して執り行う。 |
岸根倶楽部(クラブ)の変遷
元号 | 西暦 | 内容 |
---|---|---|
大正8年 | 1919年 | 大正8年(西暦1919年)に、宅地として登記される。 当時の共有者は、岩田泰次郎氏・岩田吉實氏・岩田寅吉氏・市川良亮氏等4氏となっている。 この頃には、現在地に「初代の岸根クラブ」が建っていたものと考えられる。 |
昭和25年 | 1950年 | 昭和25年(西暦1950年)頃当時の青年会(会長;岩田錦作氏)が主体となり、「第2代の岸根クラブ」を建設する。 |
昭和51年 | 1976年 | 昭和51年(西暦1976年)に有志の寄付により、「第3代の岸根クラブ」が建設され、運営を岸根町町内会に任され今日に至る。 |
岸根町の納涼盆踊り大会会場の変遷
●昭和25年頃貴雲寺境内(現在のさつき霊園の場所)●豊山荘(お別荘の茶畑)岸根町573番地
●岸根クラブの前
●岸根の市場
●岸根公園子ども広場
●横溝家駐車場
●平成20年頃から貴雲寺駐車場(現在地)
岸根町に残る屋号
屋号 | |
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はずれ(高橋宅) | いり(濵田宅) |
おおしも(市川宅) | てっぺん(横溝宅) |
しも(高橋宅) | がっこうのした(岩田宅) |
あぶらや(岩田宅) | しんや(岩田宅) |
びわばし(岩田宅) | さかした(三田宅) |
てらのまえ(市川宅) | もちや(市川宅) |
しぐら(岩田宅) | げたや(山本宅) |
せき(伊藤宅) | うえのみやのした(伊藤宅) |
みやのした(伊藤宅) | しんたく(岩田宅) |
うえのうち(岩田宅) | わらじや(蔵方宅) |
おもて(岩田宅) | いもや(金子宅) |
いわたや(岩田宅) | うえのせき(伊藤宅) |
みせむこう(濵田宅) | びょういん(高橋宅) |
やとぐち(堤宅) | しんばやし(中村宅) |
たばこや(濵田宅) | はら(濵田宅) |
やと(横溝宅) |
岸根町で行われている伝統行事
行事名 | 内容 |
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稲荷講(初午祭) | 毎年、立春後初めての午の日に行われるが、最近では2月11日の建国記念日に行われることが多い。 ●下のお稲荷さん(正一位此花稲荷大明神)講中は6軒 ●上のお稲荷さん(正一位稲荷大明神)講中は12軒 |
題目講(日蓮宗) | 月並み題目;毎月12日講中の家で開催。 講中は9軒 |
念仏講(曹洞宗) | 3回/年(春・夏・秋)貴雲寺にて開催。 講中は19軒 (昭和50年代まで、月並み念仏が行われていた) |
地神講 | 昔は2回/年春・秋の社日(しゃにち)に開催されていたが、今では1回/年秋に開かれている。 講中は10軒。 |
かっては、大山講、御岳講などが行われていたものと思われる。鳥山町、小机町では今も御岳講が行われている。